ベテラン技術者にリプル代表の佐藤がこれまでのキャリアを伺い、後輩技術者へ向けてのメッセージをいただく本インタビュー。今回は九州大学大学院工学研究科修了後、富士フィルム社にて新製品開発やR&D統括マネジメントを担当、退職後は技術経営・新規事業開拓プロデュースを行う「Office EAGLE NES」を設立して活躍する、鷲巣 信太郎氏に話を伺います。

プロフィール

鷲巣 信太郎 (Shintaro Washizu)

九州大学大学院工学研究科応用化学専攻修了(工学博士)。
1984年4月に富士写真フイルム(現富士フイルム)株式会社入社、富士宮研究所配属。

研究者として新製品開発を17年、研究部長として現場研究マネジメントを3年経験。その後は、新規事業の戦略企画および全社R&D統括マネジメントを12年経験。2016年3月に富士フイルム社を定年退職。

2016年4月に技術経営・新規事業開拓プロデュースを行う「Office EAGLE NEST」を設立し、現在に至る。

「目標は政治家!」から一転、技術者の道を貫き通した戦略的キャリア構築

技術者のキャリアは「政治家として日本を変えたい」思いがきっかけ

佐藤:鷲巣さんは富士フイルムで30年以上ご活躍されていたのですね。技術者になるきっかけにも通ずるかと思いますが、新卒当時はどのような経緯で入社されたのですか?

鷲巣:少し過去から遡ってお話をします。実は最初は技術者・研究者になるつもりはありませんでした。大学入学当時は、正直なところ大学で教わる学問や技術のことなんて全然理解できなかったです。

そこで学生時代は哲学を一番勉強したんですよ。当時の政治の腐敗や企業本位の経営などの不合理な現実を目の当たりにし、「この矛盾を解決するために日本を変えないといけない!」という思いができました。結果、一番市民と近い地方自治体の首長(※東京都知事など)がいいだろう、これを目指そうという考えに至りました。

実際にそのようなポジションに就いている方の経歴を見ると、多くは官僚や大学教授出身の人たちでした。そこから「まずは大学教授になろう」という目標ができ、その手段として学問を真正面から勉強し始めたのが技術に向き合ったきかっけです。

こうしたプロセスを通して、専門領域に対する理解が深まり、技術に対する興味やおもしろみが養われました。技術者・研究者の自覚と責任、プライドもついてきたように思います。

結果として、実社会においてもっと実学としてものづくりを深く極めたかったこと、人としてもさらに幅広い人間力を身につけたかったことなどから、大学院修了後、当面のキャリアとして企業の研究者を選んだ次第です。

「世の中に提供できる価値」を整理しながらキャリアを構築

佐藤:すごく戦略的な選択をされていたんですね。富士フイルム社に入社してからはどのような計画を立てていたのですか?

鷲巣:10年単位でキャリアプランを考えていました。10年間企業で経験をしてから大学に戻れば、最適なポストがあるだろうと思っていたのです。

しかし、実際は10年も経つと、ありがたいことに企業の中では欠かせない戦力となっていて、主要な開発プロジェクトのリーダーにもなり、抜けるのが難しくなっていました。出身大学から准教授としての話もありましたが、さすがに自分だけ辞めるというわけにはいかず、60歳まで富士フイルムに勤めました。

佐藤:そうなんですね。別の目標もある中で、どのようなことを考えながら富士フイルム時代を過ごされたのですか?

鷲巣:いつ辞めるかも常に考えていましたが、「色んな可能性が自分にはあるかもしれない」と常に考えていました。そして、感覚的ではなく具体的に「自分は世の中で何ができるか」と40歳の時に考え始めました。

自分が世の中に提供できる価値を整理するために、まずは職務経歴書を書くことにしました。会社で積み上げてきた仕事の内容と成果はもちろんのこと、これまで出した特許や論文、著書、社外活動の仕事など全て具体的に書き出しました。A3で5〜6枚に渡る量になり、出願した発明特許だけでも200件以上に上ります。

この自分の職務経歴書をまとめるという方法は、技術者に限らず誰にでもおすすめしたいです。自分のキャリアや市場価値を俯瞰して見ることができるようになり、自分に自信が生まれ、リスクがあることにもチャレンジできるようになりました。その考えに至ったことが、独立してからもとても役に立っているように思います。

定年後、独立・起業を選んだ理由や醍醐味とは?

「人の役に立ちたい」と思い、独立・起業を決意

佐藤:鷲巣さんの場合、定年を迎えてからの退職ですが、なぜまた独立の道を選んだのですか?

鷲巣:おぼろげながら現在のような仕事のイメージはあったのですが、「やりたいこと」をしばらく考える時間がありました。会社を辞めてから半年ほどはぶらぶらして過ごしましたね。

音楽が好きだったので、趣味と実益を兼ねて“ライブハウス”などをやろうかとも考えました。でもやっぱりこれまで積み重ねてきた自分の経歴につなげて、「人の役に立ちたい」「人と接する仕事がいい」「自分の得意な能力を活かしたい」などの観点から、現在の仕事を選択しました。もちろん「やれるか?」というのも重要な課題でしたが、これは職務経歴書を書きためていたのが、とてもよかったと思います。自分の付加価値を知り、高められるよう努力していたことが自信になりました。

家族の反応

佐藤:こんなことを聞いたら失礼かもしれないのですが、ご自身もご家族も独立に際しての不安はありませんでしたか?

鷲巣:経済面は「食っていくだけなら何とかなる」くらいに、気軽に考えていました。そして実際、「何とかなる!」というのが実感です。また、家族はそれほど心配していなかったようで、自由にさせてくれました。「今まで頑張ってきたのだから、これからは自分のために、自分の好きなことをゆっくり選んだら?」の一言でしたね。

独立してよかったこと

佐藤:独立をしてみて起きた変化や、独立をしてよかったと思うことについて教えてください。

鷲巣:私が健康的な生活になったことに家族が喜んでいますね。以前は朝5時30分に起きて新幹線に乗り、静岡から六本木まで毎日通っていました。普通に帰ると夕食が22時~23時になってしまうので、20時東京発の新幹線に乗れない時は、外食をして家に戻ってから自分のPCを開いてまた仕事、という生活でした。

今はテレビ会議も自宅でできます。また現在いただいている企業のコンサルティング業務も月4日のうち2日はテレビ会議にできますし、働き方の工夫によって健康的な生活になったと思います。

最もよかったのは、自分の権限と責任ですべて判断できるということですね。会社組織のヒエラルキーは、組織を守るために築かれた知恵の決め事ですが、これは「遅い、硬い、重い」です。正直、納得いかないことがたくさんあり、フラストレーションが溜まったこともありました。

他によかったことは、「たくさんの人との新たな出会い」です。リプルの佐藤さんもその一人ですね。多様な人たちとの出会いは、新たな価値観、新たなアイデアなどを生み出し、自己成長にもつながります。また、新しい経験にチャレンジする“わくわく感”もありますね。何よりも新鮮で楽しいです。

結果として、この新たな仕事を通して、「やっていける!」という自信が培われてきたように思います。

独立を検討する後輩技術者へのメッセージ

佐藤:独立して良いことがたくさんあったのですね!後輩技術者やこれから独立を考えている技術者にお伝えしたいことはありますか?

鷲巣:長く企業のサラリーマンをやっていると、独立するのは難しいように思えますが、本当に何とかなるものです。ただ、そのためには時代が変化してきていることを敏感に感じることが必要です。終身雇用や年功序列はかなり崩壊してきているし、人生100年時代を見据えた人生設計を描く時代がきています。

具体的に話すと、60歳まで現役で勤めたとしても75歳ほどまで働かないといけないような時代になってきました。その中で自分が見つけた“やりたい仕事”をして、自分の得た経験を周りに伝えることは50歳〜75歳の時期にしておくべきではないかと思います。定年まで勤め上げると思っていてもリストラは横行してますし、何も考えていないとつまらない会社員人生になります。

私自身は、幸いなことに社内でチャレンジングなことができたため60歳まで会社にいましたが、キャリアをしっかり築いていくためには、自分がやりたいことをとにかく提案することが大事です。もし、どうしてもそれが実現できない会社だったら辞めると言う選択肢もあります。リプルさんを含めて社会の受け皿もある時代です。自分に真剣に向き合い、自分を人生の主人公としてイメージすることが、とても大切ですよ。

リプルが提供する、プロのものづくり技術者への顧問・スポット業務紹介サービスに登録して活躍の幅を広げてみませんか?ご興味をお持ちの方はぜひご登録ください。