独立して活躍する技術者に、リプル代表の佐藤が独立の苦労や面白さをインタビューしに伺う本企画。今回お話を伺う長谷川氏は、川崎重工株式会社の関連企業やシスメックス株式会社にて、機械装置の研究開発や実験、品質・生産管理など多岐にわたって活躍。その後合同会社を立ち上げ、コンサルタントおよび経営者として活躍している方です。現在のキャリアを歩んできた理由に迫りました。

プロフィール

右が長谷川氏、左が佐藤

長谷川 文也(Fuminari Hasegawa)

現在42歳。高専を卒業後に川崎重工株式会社の関連企業で化学プラント、環境装置、バイオ、航空宇宙分野での設計開発業務、各社外販研究開発、実験業務、原因調査などの一括請負や企画・設計実施報告まで一貫して担当。2社目のシスメックス株式会社では検査薬生産機器の品質・生産管理、原価生産や製造コストの圧縮などを担当する。その後、2017年に40歳の若さで独立を果たし、合同会社の立ち上げを経験。現在は同社にて医療機器や医薬品及び一般製造業の新事業企画や生産合理化、情報通信システムに関するコンサルタント、行政主導の専門家派遣事業などを手掛けている。プライベートでは小学校6年生の父。

技術者になったのは父からのDNA

佐藤:これまで様々な技術者の方にインタビューをしましたが、長谷川様のように定年前に独立をするケースは珍しいですよね。なぜそのような選択肢を取られたんですか?

長谷川氏(以下、長谷川):そうですね。私は比較的若いうちにものづくり技術者として独立をしました。独立に至ったのには様々な経緯がありますが、根本的なところをお話しすると、育った環境が大いに影響をしているのではないかと思っています。

佐藤:どんな環境で育ったのですか?

長谷川:私は父が自営業で設備屋の職人をしており、母が専業主婦という家庭で育ちました。少ない固定給と請負仕事でプラスアルファの収入を得るような状況で、1つの仕事に対してその場で報酬が支払われ、それを自宅に持って帰ってくるようなスタイル。裕福な家庭ではありませんでした。

母はその様子を見て、「あなたは名の通って安定した大きな会社に行きなさい」と私に口を酸っぱくして言っていました。当時は世間的にもサラリーマンになって終身雇用に乗っかるのが安心、という価値観も強かったですね。

佐藤:でも長谷川さんは独立をされているんですね。そもそも、長谷川さんはなぜ技術者の道を歩んだのでしょうか?

長谷川:そうなんです。当時私なりに家が裕福ではないことを知っていたので、親に迷惑をかけたくないという考えから、私立よりも学費がかからずに専門的なことが学べる、高専の機械工学科へ進学しました。

学費がかからないことから選択した高専ですが、勉強をしていくうちに、改めてものづくりが好きだと気付いたんですよね。幼いころから父の大工道具を使ったり、ラジコンを改造したりするのが好きだったので、やはり父の影響は大きいですね。

自分の知的好奇心と向き合うことでキャリアを選択してきた過去

佐藤:川崎重工の関連企業へ入社したのはなぜですか?

長谷川:私のマイノリティな性格がだいぶ影響しています。普通は大手の本社に行きたいと思いますよね(笑)。私の場合、昔から何かに興味を持ったらとことん突き詰める性格だったので、大きいことを設計するというよりも、実験してとことん追求し、結果を出すことに対しての知的好奇心の方が強くありました。新卒で入社した企業は、研究開発業務を請け負うポジションだったので、本社よりも関連企業の方がちょうど良かったんです。

佐藤:その後、シスメックスへ転職をされていますね。その時のお話も聞かせてください。

長谷川:はい。川崎重工の関連企業では川崎重工が手がける幅広い設備や装置、機械などの実験をしていましたが、実験は何かを1回作ったら終わりなんですね。それに対して、量産品の場合は無駄を削ぎ落としブラッシュアップを重ねたものを大量に生産するのですが、その感覚を味わいたいという好奇心があり、臨床検査機器、検査用試薬の開発・製造をしているシスメックスへ転職をしました。転職後には機器生産で人員を用いた大量生産も経験することができました。また製造部では200~300人のマネジメントも経験でき、とても有意義な期間だったと思っています。

佐藤:もともと「やりたい」と思っていたことを実現して、その後に独立されたんですね。

長谷川:そうですね。人間関係の違和感などが理由で退職を考えたのですが、実は次のステップとして独立するか転職するかは悩みました。プロジェクトの運営をしたくて総合商社に入社したいとも考えましたが、当時の私では中途採用の募集要項を満たせなかったんです。そんな中、ふと自分のこれまで培ってきた力を使って何かできないかと考えていたところ、自分で事業を営む父の姿を思い出しました。

ただ、私にはすぐに独立するに値する信用力がないなと思い、必死に勉強して技術士の資格を取得しました。最初にいただいた「なぜ若いうちに独立を決意したか」という問いに「育った環境の影響が大きい」と応えましたが、この父の姿が独立の決め手になっています。

独立に際しての家族ブロックは愛。妻に誓った決意表明

佐藤:独立に際して大変なことはありましたか?

長谷川:小さい子どもがいるので、まずは妻に納得してもらうことが大変でした(笑)。いわゆる「家族ブロック」というやつですね。ただ、後押ししてくれる一面もあり、妻から「私を説得できるくらいのものが準備できるのならやっていけるのではないか?」と話をもらいました。そこで妻への決意表明も込めて事業計画を書き、Wordで妻に提出をしたんです。無事認めてもらいましたが、後から話を聞くと中身は読んでたとかなかったとか(笑)。

とにかく、覚悟をしっかりと固める機会を妻がくれたので、とても感謝しています。

独立後の生活の変化

佐藤:お子様もいるということですが、独立後の生活は変化しましたか?

長谷川:働きたい時に働いて、休みたい時に休むというメリハリの効いた生活になりましたね。私は妻と共働きなのですが、子どもの学童保育と妻の時短勤務がちょうど2年前に期間終了となりました。夫側が普通の働き方をしているとその後とても苦労すると思うのですが、私が好きな時間に働けることもあり、妻との家事分担がしっかりできています。

子どもからすると、家に帰れば妻か私のどちらかがいるし、妻もキャリアアップを諦めずに済むということで、家庭への好影響がとてもあります。

佐藤:新たな働き方が新たな家庭のあり方も作っているのですね。他に何か変化はありましたか?

長谷川:独立して仕事をしている方や経営者の方と知り合う機会が増え、人脈はもちろんのこと、自分の知見や視野が広がり、仕事もとても充実していますね。

独立に大切なのは「予定顧客との関係性」と「覚悟を決めること」

佐藤:最後になりますが、これから独立を考える後輩技術者たちに一言お願いします!

長谷川:独立に際して2つ重要なことがあります。1つは、独立をする前に必ず顧客(になる予定の企業・人)との関係性を築いておくことです。これは技術者に限らず言えることですが、顧客がいないとそもそも仕事は成り立ちません。これまでの繋がりで自分のことを買ってくれている人に、独立後もお付き合いしていただけるか、ちゃんとイメージしておきましょう。

2つめは、先ほどの内容と若干被りますが、覚悟をしっかり決めることです。私の場合は妻への事業計画書というアウトプットで覚悟を決めました。事業計画書を書くことはもちろん大事ですが、覚悟という意味では自分自身に決意を綴った手紙を書いてから独立を果たした知人もいました。ぜひこの2つを胸に頑張ってほしいです。

佐藤:ありがとうございました!

 

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